故・ジャック・ワイルドの生前の生舞台を観た日
このページは、前のページから文章をコピー・加筆しました。 そのあとに続いて、さらに詳しいエッセイを書きました。
なぜかというと、ジャックのことを今回振り返ってみたら、 やっぱり別のページで取り上げるべき役者さんだと思ったからです。
Jack Wild(1952.Sep−2006.Mar)は
、私が思ってた以上に、素晴らしい人間だったんだって事を、
改めて知ったからです。
まぁとりあえずは、前のページに書いた文章から・・・・。 (前ページ部分、ライトです。後半追記分、シビアです。 前のページを読んだかたは、途中までスクロールしてくださいm(__)m)
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昔、「オリバー!(’68)」とか「小さな恋のメロディ(’71)」に
出演して、準主役ながらものすごい存在感を示していた
ジャック・ワイルドという子役(ってわけでもないんだけど、
背が低めで童顔だったので、少年役が多かったんですよね)がいまして。
私も幼い頃、TVで「オリバー!」を見て、その存在感には 本当に圧倒されました。 正直、ジャックしか印象に残ってないくらいです。 しかも彼はこの作品で、16歳にして、アカデミー賞の助演男優賞に ノミネートされたほどなんですよ。
ハンサムか?、というと好き嫌いがあるかと思うんですけど、 名前の通りの、奔放でやんちゃな、でもホントはナイーブそうな、 そんな雰囲気があって、ファンだったという人も多いと思います。
で、このジャック・ワイルドもまた、昔のスター的扱いからなかなか 大人の役者へ移行することができずに、 アルコールにおぼれてしまった時期があるんですね。 同じ映画の主役だったマーク・レスターは、まぁ普通の生活を送って、 でもまぁ最近になって「マイケル・ジャクソンの養子は僕の子だ!」 なんて、要らぬ話題を提供してしまって、ちょっと残念なんです けど(苦笑)。
つか、マーク・レスター、いまチェルトナム在住とはっっっ!!!! マジですか(苦笑)。今まで知らなかった・・・・・。 何度も行ってる土地ですよ〜。 そこのフェスティバルでライブもやったんですよ〜〜〜。 また行く機会があったら、探してみようかな(笑)。 ん〜、商店街、小さいから、すれ違ってたかもしれないなぁ。。。
※追記です。なななな何と!!ガガガガーン!! マーク・レスターによると、’07年にマイケルがマークと一緒に チェルトナムに来たってさ! んでもって「ピザハット」でピザ注文したってさ!!!! 角のでしょ?(←わかる人にしかわからないって(苦笑)) あそこは私も御用達(?)。えー??!マジですか?!?!?! でも商店街の中にあって、バスも通るという場所なのに、 バレバレじゃない?デリバリーなんかしてたのかな、あそこ。んー。 いや〜、マイケルが来たことより何よりも、やっぱりあそこのお店を マーク・レスターも使ってるのかぁ〜〜〜、という事に感無量。。。 ということは、あの小劇場も?あのスーパーも???わくわく。 はっっっ。もしや、ジャックも来たことあったりして? ・・・マークの転住時期から見て、それはないかな・・・。ガッカリ。。
あ、また話がずれた(汗)。
でね、イギリスに行くことが大好きな私は、 数年前、たまたまその辺で手に入れたフリーペーパーをパラパラ ロンドンのホテルでめくっていたら、 クリスマスのファミリー向けの小さなミュージカルの出演者の中に、 ジャックの名前を見つけちゃったのです。
信じられない思いでしたけど、行ってみましたよ、当日。 場所はどこだったかな、え〜と、ロンドンの南部ですね。 セントラルラインの南端のほうだったかな。 あ、グリニッジのほうだ。
で、小さな劇場で、早めに行って、チケット買って。 近くの喫茶店で時間を潰して、場内に。
チケットを切る係りの子がボーイッシュな素朴な女の子で、 適当に席について(一番前を陣取ったけど笑)開演を待っていたら、 その子が席の周りの掃除とかもしていて。
ちょっとお話しました。 「今日の出演者で一番有名なのって、どの人なの〜?」 「ん〜、ジャック・ワイルドかな、やっぱり」 「ジャック・ワイルド、知ってる?」 「あ〜、そうですね、名前は知られてるかな」 「どんな作品がこちらだとポピュラーなの?」 「う〜ん、『オリバー!』かなぁ。みんな子供のころに見せられるから」 「そうなんだ〜。私もジャックを見るために来てみたんだよ。 日本では’60年代後半から有名なんだよ。 私は生まれてなかったけど(^^;)、でも『オリバー!』は見たよ〜」
・・・なんてことをお話しているあいだに、開演時間に。
その劇は「シンデレラ」で、何と、意地悪な継母と義理の2人の姉の 役を、男性が演じるのです。要するに、コメディなんですよね。 で、ジャックはその義理の姉の片割れの役でした(笑)。
でもそれはフリーペーパー&パンフレットにも書かれていたし、 ついでに、「咽頭ガンになったけれど、声が出せるまでのミラクルを 起こして復帰した」とも書かれてました。
そして始まった劇。 どちらの姉がジャックか、すぐわかりました。 すっっっっっっごくうまかったです!!!演技が!!!! 群を抜いてましたね。 とても楽しそうだったし。 観客みんなを笑わせていたのは、ジャックでした。
あのジャック・ワイルドが、こんなに破天荒な役が出来るなんて、 しかも、こんな喜劇を選ぶなんて、ちょっと意外だったのですけど、 ルックスはやっぱりそれなりに50歳間近のオジサンになりつつも、 昔見た「オリバー!」の面影がかなり残っていたし、 もちろん髪はブルネット、あの特徴のある鼻先もあのまんま。 身体全体、跳んで転げて、あぁ、「オリバー!」でのジャックも、 こんな風に、全身でミュージカルをやってたんだよね。 あっちへ走って、こっちへ跳んで・・・マーク・レスター以上の 表現力&演技力だったっけ。 あの魅力的な個性は、ちゃんと残っていました。 すごく嬉しかったです。
これは見られて良かったなぁ・・・!と、熱い気持ちになりました。 出待ちしようかな?なんて思ったのですけど、 カタコトの英語だし、出演者はこのあと、裏のパブで打ち上げをやる、 と聞いたので、やめておきました(笑)。
そして、例の劇場の係りの子と笑って手を振ってバイバイ。 なんか、可愛かったなぁ、あの子。 ブルネットのショートカットで、トレーナーにジーパンで。 ちょっとポッチャリしてて。まだ16〜17歳くらいだったのかも。 ああいう素朴な子って好きです。
でも、とにかく、今のジャックの演技を生で見られて、 ホントにラッキーだったなぁ♪♪♪ウキウキ♪♪♪
・・・・なーんて思っていたら、たった数年後にガンで他界してしまって。 あぁ、再発したんだ・・・と冷静に受けとめましたけど、 やっぱりあの舞台が見られて、ホントに良かったと思いました。 (もしかすると、元気な彼の生の舞台を観た最後の日本人だったり して・・・)
最後の2年間はもう声帯も舌もガンに侵されていたそうで、 子供のころから役者の仕事をしていた人にとっては、 ホントにつらい思いをしたんじゃないでしょうか。 ただひとつの救いは、彼が、最後に素晴らしいパートナーと 生活できていたことです。 パントマイムをしてでも役者を続けていた姿勢には、本当に 頭が下がる思いだし、また、喫煙、ドラッグ、アル中、ガンとの闘病で、 自分の人生を責めながら振り返りつつ、それでもやはり演技者として 生き抜いていこう、と決めた彼の純粋な魂を支えていたのは きっとそのパートナーさんの存在だったに違いない・・・。 そう思うのです。
さて、そんなジャック・ワイルドと、マーク・レスターの、 大人になってからのお宝インタビュー動画を発見しました。 ファッションは’70年代っぽいけど、’87年のクリスマス特番の トークショー。 ジャック35歳、マーク29歳のときだそうです。 2人で昔の思い出を語ってます。もっと聞きたい!って感じです。 リンク先だけ貼りますね。 http://www.youtube.com/watch?v=9Mgh9QuJqNE&feature=related
マークはトシちゃんみたい(^^;)。 でもちょっと後半、言葉が聞き取りにくいです。 (というか、司会者さんが一番早口なんですけど〜(^^;)! 「昔に自分が出演した映画、今でも見ることあるの?どうよ?」って そればっか聞いてどーする(笑)) ジャックはわかりやすい英語ですね。ロレツ回ってないようだけど、 少年時代のインタビューでもこんなです(笑)。でもちょっとホロ酔い? 登場する時の歩き方がカッコイイです。 司会のTerry Wogan氏が「小さな恋のメロディ」の話は サラ〜ッと流すあたり、やっぱり日本だけでヒットした映画だから、 しょうがないか〜って感じですかね。 また、マークがすでに引退し、一般人になっていたからか、 ジャックのほうが格上の扱いになってるように見えますね。 アメリカで人気だったジャックの看板番組「HR・・・」の話もしてます。 新年からはシットコムも、と。そうか〜やってたんだ、シットコム。 見てみたいなぁ。
それにしても、最後に出て来る「小さな恋のメロディ」の1シーン、 ジャック、いいわ〜〜〜。やっぱり私はジャックが好きです。 何この野性味は。こんな小学生、絶対いないって(笑)。 VTRを見終わったあとの姿勢も(ワタシ的に)ポイント高いです。 カッコつけたり、虚勢張ってないところが好き。
この映画はさぁ、主役はジャックと言ってもいいんじゃないかと思うん ですけど。(「オリバー!」もだけど) オーンショー=ジャックあっての「メロディ」だと思うんですけど。 (まぁ主演扱いされている感じもありますが。でも3番目に名前が 来るのがイヤ。 ・・・つか、違う違う!!向こうではそもそも、ジャック&マークの 「オリバー」コンビ再び!ってな感じで売り出したのに、日本では トレーシーの人気が出ちゃって、リバイバルされるたびに ジャックが3番目になってっちゃったんだよ〜〜〜〜〜) あの、牧師さんの代わりになるシーン!! あれがまたカッコイイんですよね〜〜〜〜〜〜〜!!! あ、思い出すだけで涙が・・・・・・・(T_T)。
(・・・って、ちょ(汗)、ちょっとちょっと、他の動画も見てみたら、 コメント欄に書き込んでるジャックのファン、10代が多い!!!! えええ〜〜〜〜〜!!!!!??? グリニッジの劇場の女の子が言ってたように、イギリスの子供は 「オリバー!」を見させられる(?)ようだから、 新しいファンも多いってこと???? 「オリバー!」見て「メロディ」見て、メロメロに、ってパターン??? でもイギリス人だけが書き込みするとは限らないですもんね。 いやはや、びっくりしました。素晴らしいことですね!)
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ここまでが、最初に書いたエッセイなんですが。
このあと、改めてジャックの出演作品を見直し、 本人のインタビューを聴きなおし、 海外サイトの役者名鑑みたいなものも読んでみました。
私自身、あんまり海外の役者さんとか、アーティストって詳しくない んですけど、ジャックの生き様は、何だかすごく考えさせられました。
ジャック自身、やっぱりガンになってしまったことに深く傷ついていて (そりゃそうですよね。しかも口の中だし)、その原因は?と考えたら、 子供のころからヘビースモーカー、’70〜80年代はアルコール中毒、 くわえて20歳そこそこで糖尿病・・・・。
晩年になって、糖尿病にしても、アル中にしても、ガンにしても、 振り返ればすべて、自分のこれまでの、ていたらくな生活のせいだ、 という思いにばかり、さいなまれていたようなんですね。
アル中を克服した30代後半になってから、クリスチャンになったよう ですけど、それも、いろんなシーンでの後悔とか懺悔とか、 そんな思いからだったのかもしれません。 (元々クリスチャンだったのでしょうけど、それまでは、 さほど信仰していなかったようですね。イギリス人には多いです)
生活を見直すことができたにもかかわらず、まだ40代のうちに、 ガンになってしまって。 それすら、彼は「過去の自分の行いの報い」と思っていたようですよ。 切ないなぁ・・・・。
※ここでいきなり追記を(^^;)。 ジャック・ワイルドが亡くなったのは2006年の3月1日のこと なんですが。 当時、日本の新聞報道では、「2000年に口腔ガンと診断され、 その後は治療に専念していた」という文章が多く掲載されました。 でも、私がジャックの舞台を観たのは2001年or2002年末です。 そのときのイギリス版フリーペーパーによると、 「咽頭(咽喉?)ガンになったけれど、彼は声を出せるまでになり、 奇跡的に復帰した」と確かに書かれていました。 私自身、観劇する前に、席に座りながら、「声、出るのかなぁ?」と 心配していたのを覚えています。 でも現れたジャックは相変わらずの声&パンチのある独特の英語で 本当に嬉しかったです。 なので、ジャックはガンと5〜6年間闘いながら、亡くなる最期まで 「役者」の仕事を続けていた、ということをお伝えしておきます。
イギリスでは「オリバー!(Oliver!)」のドジャーで天才子役になり。 アメリカでは「H.R.Pufnstuf」のジミーで人気者になり。 日本では「小さな恋のメロディ(Melody)」でアイドルスターになって。 そんな彼の、20代半ばから50代頭までの人生を知っている人は、 少ないかもしれません。
オーストラリアで’96年に「あの子役たちは今」みたいな番組が 製作されて、44歳になったジャックが登場しています。 小犬を連れて、小川のほとりを歩く姿も出てきます。 視力がかなり悪くなっているように見える以外は、 太ったオジサンになってるわけでもなく、髪も変わらずブルネットで、 派手さはないけれど、思慮深さとマイルドさが加わった感じで、 私は好感持てました。
私のヒアリング能力がそんなにないので(苦笑)、ニュアンスが 違うかもしれませんけど、落ち着いた口調で語っています。 「今だから話したいんだ。 酒がどれだけ自由な時間を止めてしまうか(しまったか)ということを。 僕はありがたいことに、もう7年間禁酒ができてる。 いまだに、(アルコールが原因での?)いいこと悪いこと、 いろいろな経験が頭に浮かんでやまないけど、 でもそれが僕(の禁酒しなくてはという気持ち)を強くしてくれている。 僕は思うんだ。 素晴らしい役者というのは、かつてアル中だったり、ドラッグをやって いたとしても、そのことを受けとめるものだ、って」 ハッキリ出している十字架のペンダントが、彼の心境と新しい誓いを 示しているようです。 (※ううう、私のヒアリング、たまに真逆&意味不明に訳していることがあります。 ご勘弁を!!)
この番組を、当時の視聴者たちは「懐かしい〜」なんて気持ちで 見たのだろうと思いますけど、 かつてのジャックと、この「あの人は今」番組よりのちの彼の人生とを 見つめなおしたら、この時の彼の表情、話し方、言葉の内容には、 何だかとても考えさせられるものがありました。 かなりストイックな様子で、よほどの思いがあったんだろうなぁ・・・と 思わされます(特にアルコールに関して)。
アル中だった事実や、その弊害や贖罪を、笑って話すのでもなく、 かといって、変に演技しながら悲劇的に話すのでもなく、 淡々と、誠実に、正直な気持ちを話してます。 問題を乗り越えた強さと、それを継続していかなくてはという意志が すごく伝わってきて、笑顔はないけれど、今の穏やかな生活の中に 何かしら、新しい生きがいを感じていたのかもしれません。
でももしかするとこの番組では、もっと色々な話をしたかもしれない のに、アルコールについての話だけを切り取られてしまったのかな、 という気がしないでもないです。
いずれにしても、大人になったジャックがたどり着いた道は、 やっぱり「役者」という道だったということだけは、とてもわかりました。
私は、彼はとても賢い人だったんじゃないのかなぁと思うんですよね。
「オリバー!」でアカデミーの助演男優賞にノミネートされたときに、 トーク番組に呼ばれてインタビューを受けてるんですが、 彼は身体が小さいので、実年齢16歳でも10歳くらいにしか見えず、 インタビュアーや観客の彼を見る視線は、 あくまでも「子供」に対する扱いのような感じです。
でも本当は16歳なワケですから、彼の頭の中は、じゅうぶん 大人に近いわけです。 だから、16歳の少年が話してる、と思えば、インタビュアーや観客の 反応も、また違っていたんだろうな、という気がしました。
16歳の彼は、とても頭の回転が早く、ノミネートにはしゃぐこともなく、 役者としてきちんと話をしています。ジョークも冴えています。 そんな様子を、インタビュアーも観客も「大人顔負けだなぁ。ははは」 みたいに流しているのは、改めて見ると違和感がありました。 ジャック自身も、「ん?これ笑われる話?」って顔を何回もしてるし。
普通の16歳より、むしろ全然大人だったんじゃないでしょうか。
「メロディ」のトム・オーンショーは11歳。 それを演じたジャックは18歳(調べたところ、撮影は5月からだった そうなので、9月生まれのジャックはまだ17歳だったみたいです)。 悪びれていても情に厚く、大人を小馬鹿にしている背伸びした 少年役は、精神的にはすでに大人だった彼が演じたからこそ 魅力的だったんだと思います。
(「メロディ」。 イギリスでもアメリカでも、全く評価されなかったこの映画が、 今もなお、多くの日本人の心を打ち続けていることを、 ジャックは知ってくれていたんでしょうか。。。 やっぱりあの舞台のあと、出待ちして少しお話すればよかった なぁ・・・・(T_T)。 感想のファンレターを送ろうかな、とは思ったんですけどね・・・)
アメリカのマペット映画&ドラマ「H.R.Pufnstuf(怪獣島の大冒険)」 のときが17歳くらいでしょうか。 オーンショーとジミーは、まったく違うルックス&キャラクターですけど、 これを見ても、ジャックの表情豊かな演技力が良くわかります。 演技はもちろん、歌やダンスもすごくナチュラルで上手です。 「オリバー!」のパロディもやってるんですけど、やっぱりすごく 上手だなぁ・・・と、その魅力に惹きつけられてしまいます。 (このドラマは、子供のころに録画したビデオを、大人になって 自分の子供に見せたら、その子供もまた大好きな番組になった、 という視聴者も多いようです。 アメリカでは最近でもDVDが出ているくらいなんですよ。 日本でもCSでやってくれないかなぁ。すごく和む内容なのに。 ※映画も面白かった〜!!音楽&ジャックの歌声&ルックスもメチャクチャ良いし。 なんとあのママス&パパスの、故・キャス・エリオットも特別出演。 見始めは「な、なにこれ?!」とビックリするものの、見ていくうちにハマりますよ。 ♪If
I could〜、に始まって、♪I found a friend in
you〜、で終わる冒険物語。 魔女に天使に英国人ジミー大活躍。後半は釘付けになってしまいます!!)
海外サイトに載っているジャック自身の言葉によると、 彼は、12歳からタバコを吸っていたそうです。 あのハスキーボイスはそのためだったのかもしれません。
両親が共働きの労働階級だったため、彼も彼のお兄さんも、 あまり親にかまってもらえないまま成長し、 気づけば周りにはショービジネスの大人たちばかりで、 身体の大きさとは反対に、彼はすごい早さで、心だけが成長して しまったと語っています。
それまで牛乳配達でささやかな小遣いを稼いでいた子供が、 「オリバー!」の成功で、あっという間に生活が変わり、 仕事場と家とで、自分の立場の切り替えをするのが困難なほど だったとか(外ではスター、家では労働階級家庭の息子ですからね)。
そして、周囲が「君はまだお酒はダメだよ」といっても、 早々に飲み始めてしまったそうです。
それからはもう、タバコとお酒の日々。 (確か別のインタビューでは「ドラッグ」という言葉が出ていたと 思うし、私が読んだ、上記の「シンデレラ」の舞台に関する 紹介記事の中でも、その言葉が出ていたと思いますけど、 これに関しては、「そういう場にもよく行った。散財しちゃったよ」と 本人が語っている以外は、あまり触れられていないですね。 ドラッグはもしかすると、やっていなかったのかもしれません)
大人がするようなことを次々に果たせてしまうショービジネス界で、 19歳になるころにはもう「自分は神だ」と思えたそうです。 芝居に携わっている仲間の中ではボス的存在だったため、 みんなを引き連れて仕事をすっぽかしたりして、上のディレクターから たしなめられることもあったとか。 (そしてうまく操られるようになったとか)
「小さな恋のメロディ」が日本だけで大ヒットしたからだと思いますが、 当時は、日本のアイドル雑誌や映画雑誌にたくさん登場していて、 いま、動画サイトにアップされている彼の写真の数々も、 日本の雑誌から引用されているものがすごく多いですよ。
でも、その人気も「オリバー!」から3〜4年くらいしかもたず、 海の向こうでは次第に、脇役俳優になっていったようです。
’76年(24歳)にはもう最初の結婚をしてしまったんですけど、 アルコールや喫煙での諍いが原因で、9年後には破局しています。 でも当時の彼にとっては、仕事のオファーもいいものがなくなり、 苦悩で眠れない日々が続き、 アルコールを睡眠薬代わりに・・・という生活だったそうです。
「朝おきたときには、飲みたいと思わないのに、 真昼を過ぎると、飲みたい!という言葉が脳を襲うんだ。 そして、家では常に、ビールやワインのビンを抱えている僕がいた」
結局、’89年までお酒をやめられなかったと語っていますから、 やっぱり上にリンクしたマーク・レスターとのトークショー当時(’87年) も、ややアルコールが入っているのかもしれません。 (ん〜、改めて見直すと、かなり入ってるな、これは(^^;))
禁酒を決意してからも、自分の意志を固く守るのが日々、大変だった ようです。(完全に断酒するのはやっぱり難しかったみたいですね) 2〜3年間は、隠居した父親の元に、見張りのためか、 同居させられていたとか。 (上記の「あの子役たちは今」の頃も父親と同居していたようです)
でも、友人がアルコール中毒克服の専門クリニックのようなところに 連れて行ってくれて、そこでのひとときがとても楽しく、 数週間かかったけれども、なんとかお酒をやめることができた、 とも語ってますね。 聖書をじっくり読む時間があったこともよかったみたいです。 これがクリスチャンとして生まれ変わるきっかけになったのかも しれませんね。
時々映画のオファーが来ていたようで、でもアルコールのせいで 断らざるをえないときもあったみたいです。 断ったのを死ぬまで後悔した映画もあったそうです。 この後悔が、のちに、彼が「役者」という仕事に真摯に取り組んだ 後ろ盾になっていたようで、 「あの後悔が、現在の僕のルーツといってもいい」と語っています。
映画「ロビンフッド」は’91年ですから、お酒をやめたあとですね。
で、まぁここまでは、ありがちな話かな、と思うんですけど、 ジャックのすごいところは、 「一般の子供たちが自分のようなマネをしたら大変だ」と 禁酒以来、それを常に考えていたことではないか、と。 ジャックには子供がいなかったからか、余計に他の子供たちへの 影響に目が行ったようなんですよね。
(ジャックの場合、のちの世代の子供たちが彼の昔の映画やドラマを 見て彼のファンになって、そこから彼の人生をマネする、という懸念も あったでしょうから、「それはダメだ」と思ったのかもしれないし、 単純に「自分のような悪い大人の真似事はしないでほしい」という 大人のモラルとしての思いがあったのかもしれません)
あのジャック・ワイルドが、自分の後の世代の子供たちのことを すごく考えていたなんて、思ってもみなかったので、 この話には心を奪われました。
だからあの「シンデレラ」の親子向けのコメディミュージカルにも 出演したんだ・・・と改めて納得しました。
私は正直、「ジャックはこの小さな舞台をどんな気持ちでOKし、 出演してるんだろう・・・?」と解せない気持ちがどこかにあったの ですけど、子供たちの笑い声や、悪役の彼に対するブーイングを、 彼は「やった!」と心地よく、楽しい気持ちで聴いていたに違いない、 と、今はそう思います。 子供たちがブーイングをすると、「何よ。何か文句あるのっ?!」と、 あの「ヘッ!」という独特の鼻笑いと共に、憎憎しく返していました。 ジャックのあの笑顔は、楽しさのしるしだったに違いありません。
思えば、「Pufnstuf」は放送から30年以上が経っても世代を超えて アメリカでは人気が高いことは知っていたでしょうから、 晩年になるにつれ、ハリウッドボウルでのPufnstufショーでの 子供たちの喜ぶ様子などを振り返ることもあったのかも・・・。 「あのドラマの仕事はすごく楽しかったよ」と語ってますし。
「オズの魔法使い」のライオン役も同じくファミリーミュージカルで やっていたようですから、晩年のジャックは、子供たちのために 演技をしたい・・・と、そんな気持ちだったのかなと思います。
結局、禁酒をし、クリスチャンとして生まれ変わったにもかかわらず、 不運にも、若くしてガンになってしまったジャックですが、 そんなシーンでも、彼の気持ちが向いたところは子供たちでした。
彼は病気の原因を「自分の過去の不摂生のせい」と思っていたので、 あえて、子供たちや青少年への警告として、 ガンとはこういう病気なんだ、 ガンになった原因には、こんなことがあるんだ(喫煙、飲酒)、 と、自らの姿を見せて、ガン撲滅のキャンペーンまでやったのです。
(本当にそれが原因でガンになるのかはわかりませんけどね。 でも彼の中ではそう感じていたようです)
スターだった人が、手術したあとの自分の変わってしまった姿を 公に見せるのは、すごく勇気が要ることだと思います。
まして、ジャックの場合は、最後は声帯と舌でしょ。 私が舞台で見たジャックは、まだ声もじゅうぶん出せていたし、 食事も摂れていたはずです。 姿かたちだって、少年のころの面影がかなり残ってましたよ。 特に「H.R.・・・」のジミーと見比べると、全く変わってなかったと 言ってもいいくらいです。
でもその2〜3年後に、イギリスのニュース番組のドキュメンタリーに (やはりキャンペーンの一貫として、という想いからだと思いますけど) 出演OKしたときには、口腔内手術をして、かなり顔が変わっていて、 たった2〜3年のあいだにこんなことに?!と思わされます。 舌がないので食事の味もわからない、飲み込めない。 役者なのに、大切な声すらも失ってしまった。 最期の数ヶ月は、腹内チューブで栄養摂取ですって。
そんな姿でTVに出る。 キャンペーンでそこまでやりますか・・・・・? 未来ある青少年たちのために・・・・・?
私には、できないな。
しかも、2005年には最後の映画出演(Moussaka&Chips)もして、 そして死ぬまで、パントマイムで役者活動を続けていたというから 驚きました。 ロンドンではない土地で。
それも、その作品は、「シンデレラ」だというじゃないですか。
あの、私が観た楽しいセリフ入りの喜劇ミュージカル「シンデレラ」を、 ドッタンバッタン走りながら、わざと鼻声&低いハスキーボイスで 悪役振りを発揮していた、あの、あの「シンデレラ」を、 声なしのパントマイムだけで、 どうやって演じることができたんでしょうか・・・・・?
ほんとうに、ほんとうに、すごいなぁ・・・・と思ったのです。
ただただ、そう思ったのです・・・・・。
彼はきっと常に、「子供たちに、みすみすこんな姿になって欲しくない」 という気持ちがあったに違いないですよね。 それと同時に、やはり生涯役者として、演技をしたい、 観客を楽しませたい、という気持ちも混在していたと思います。 あの「シンデレラ」はホントに楽しい舞台でしたから・・・。
手術後、わずか1年半で他界してしまいましたけど(2006年3月)、 その直接の原因も、若いころの過剰な飲酒のせいで、心臓に 負担がかかりやすくなっていたからのようです。
「オリバー!」や「メロディ」で、一躍スターになったジャックですけど、 他のセレブと同じように少年時代からいろんなことを経験して、 他のセレブと同じように苦悩の時期があって、 でもアルコール中毒や病気を機に、絶望や自暴自棄すら超えて、 過去の行いを反省し、受け止めて、 新たなパートナーと結婚し、パントマイムの道を見つけ、 一般の子供たちのために、手術後の顔も見せてまで、 ガン撲滅のキャンペーンをする決意をして。
やっぱり、素晴らしい、の一言に尽きます。
彼はただのアイドル子役じゃなかった。 名声におぼれて潰れていくバカな芸能人ではなかった。 過去の栄光にすがって偽りの自分を見せるような役者じゃなかった。
私は「人って変わるもの」なんていう言葉が好きではありません。 だから、私は、ジャックは元々、そんな人だったんだと思っています。
途中、道を踏み外すことがあっても、自分で気づいて、省みて、 軌道修正をしようと決意できる、そんな強さが幼いころから あったんだと思っています。
そういう思いで、彼の少年時代のインタビューを見ると、 やっぱり独特のキャラクターが見えてくるんですよね。 スターとかアイドルといわれつつも、カッコつけてない、という・・・。 まっすぐな眼をしています。
マーク・レスターとのトーク番組でも、とてもナチュラルに見えるのは、 そんなキャラクターの現われかなと思います。
「小さな恋のメロディ」のオーンショーのジャックは、目力が強くて、 近寄りがたい雰囲気すらありますけど、 亡くなる前の、ドキュメンタリーでの表情は、とっても優しいですよ。
逝去するまでの半年間、妻として彼を支えたクレア・ハーディングにも 改めて、人間として敬意を表したい私です。
ちなみに、手術して4ヵ月後の2005年にも取材を受けていて、 そこでは信じられないくらいリラックスムードで、笑顔がニガテだった ジャックらしからず、オーバーにおどけたりしています。 パントマイミストとしても有名だったことが、その表情からも納得です。 「オリバー!」でのシルクハットのパフォーマンスをやってみせたり、 笑顔で、声の代わりのボイスマシンを打ってみせたりしています。 寒い地方で、自宅はとてもウォーミーな造りで、周りは静かな野原。 CDやTVのあるリビングで、昔と同じように、歯を見せて笑っている ジャックがそこにいました。 なんだかとっても救われました。
前述のドキュメンタリーの時は、かなりむくんだ顔の写真が使われて ましたが、あれ、世界中の芸能・映画ファンにいかに衝撃を与えるか、 それだけを考えての「マスコミ側の悪意」だったと私は思います。 だって、手術後の彼は、それより5年前の写真とあまり変わって いませんでしたよ。
※追記です。「オリバー!」でゴールデングローブ賞や、 アカデミー助演男優賞に16歳でノミネートされたジャック・ワイルド。 撮影時は14〜5歳くらいだったと推測されます。 チマチマ調べてみたら、彼は、18歳以下の「若い役者&子役」の アカデミー賞ノミネート者(受賞者も含めて)の歴史の中で、 イギリス人として最初に、また、アメリカ以外の国の役者としても 初めて、ノミネートされた役者だったんですよ!! ある意味、アカデミー賞の歴史を変えた若手役者だったという わけです。
また、’05年にリメイクされた「オリバー・ツイスト」でドジャーを 演じたハリー・イーデンもまた、ジャックのドジャーに憧れまくって、 「あの役をどうしてもやりたい!」と、幼心に決意をして、 親にロンドンの名門俳優学校に入れてもらったんだとか。 顔つきとか、意識しまくってますもんね(笑)。しかしかなわないけどね。
今見ても、ジャックのドジャーは完璧です。 こういう人を「あの人は今」みたいな晩年だったという一方的な 伝説だけは残したくないんですよ。絶対に。 あのハリポタの主役の子ですら、今後は仕事が来ないかも・・・ なんて心配をしているというから、イギリスの芸能界はかなりシビア なんでしょうね。 なおのこと、最後まで役者の仕事ができていたこと、また、 アメリカでは今もなお「H.R.Pufnstuf」が愛されているという ことは、ジャックにも、ジャックのファンにとっても、 誇りと思っていいんじゃないでしょうか。
ちなみに、2000年に、何とジャックがそのハリポタのラドクリフ君に メッセージを寄せています。ラドクリフ君が、11歳のころですね。 子役スターとしてもてはやされた自分は「インスタント・スター」だった んだ、でもキミは自分を見失わないで、誘惑やおべっかを使って キミを落としいれようとする声は無視するんだ、地にしっかり足を つけてね、といった長ーいメッセージです。 その内容のリアリティもすごいのですが、驚いたのは、’69年ころ 2つのTVシリーズを持って、2億円(いえ、当時のレートだから 6億円以上か?!)を稼いだといわれてきたけれど、 そんな収入は自分のところには全然はいってこなかった、 他の人のところへ行ってしまった、ボクには何が起きているのか サッパリわからなかった、という発言。ShowBizは怖いですね〜。 そんな事になった原因のひとつは、ジャックの親が芸能界を全く 知らなかったこと。 ラドクリフ君は、両親ともShowBiz界をよく心得てるから、 大丈夫だと思うが・・・とも、ジャックは伝えています。 突然スターになった少年に、47歳になったジャックがアドバイス。 う〜ん、やっぱり未来ある子供達のことを考えてやまなかったんです ねぇ。いい人だなぁ・・・やっぱり、いい兄貴、って感じですね。
最後に・・・。 8歳のときに、故郷近くのマンチェスターの演劇学校に通い始めて、 12歳から芝居を始めたジャックは、14歳のころ、ロンドンの 俳優事務所には身長が低すぎて入れなかったそうなんですが、 フィル・コリンズの母親のジューン・コリンズが才能を認めてくれて、 「オリバー!」の映画版のオーディションを受けられたそうです。 「オリバー!」も、最初はその前に舞台版があって(12歳の頃かな)、 そこではジャックの兄のオーサー(アーサー)・ワイルドは名前のある 役をもらえたんだけど、ジャックはその他大勢の「子供たち」の中の 一人、という役しかもらえなかったとか。 それが、映画版では見事に準主役、オスカーノミネートですから、 すごいですよね。 ジューン・コリンズのもとに行ってお礼を言いたいくらいです(笑)。 フィル・コリンズともよくフットボールをして遊んだそうですよ。
私は、彼の記事や写真をたくさん持っているのは、 おそらく、当時の日本のファンが一番多いんじゃないかと思います。 前にも書きましたけど、ぜひぜひ、これから先もずっと、 彼の魅力を伝え続けてほしいな、と、そう願うばかりです。
だって、ホントに10代のファンが多いんですよ。 中には、ただただミーハーな感覚で、ジャックの演技かっこいい! という思いの子もいるかも知れないけれど、 そこから、ジャックの生き様を知るようになって、 違う意味での尊敬の念を抱くかもしれない。 何か感じるもの、学ぶものがあるかもしれない。 多感な時期の子供たちは、大人の私たちなんかよりもずーっと たくさんの想いが、胸に溢れるかもしれない。
ジャックが最後に望んだことは、そういうことじゃないでしょうか。
そうして、過去の人として彼のいろんなことを知っていきながら、 やっぱり「オリバー!」や「メロディ」の、あの瑞々しいジャックに 心がたどり着いて。
彼の人生の原点はここにある。彼が言っていたように。 最後までかっこよかった人の、最高にかっこいい作品を いつまでも、いつまでも、初めて観たときと同じように、 ときめきながら観ることが出来たら、 最っ高に幸せなことじゃないでしょうか。
そして私は、一生涯、あの「シンデレラ」を観たときの気持ちを、 舞台に意地悪な顔で出てきて「ジャックだ!」と嬉しかった瞬間を、 あの日のジャック・ワイルドの声やしぐさや表情を、笑顔を、 忘れないでおこう。 そう決めました。
(written at 2010年5月)
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