河合奈保子さんへの手紙(届くといいなぁ♪)


     最近、河合奈保子さんの夢をよく見るのです(笑)。

     実は、ここ数年、私は音楽の活動で精神的に悩まされることが
     多いんですね。初めて書くのですが・・・。
     発端は、以前の音楽活動が要因となっていて・・・。
     以前の音楽活動が原因で、精神的負担から来る病気にかかって、
     入院までするほどになってしまったんですが、
     それを始まりとして、その治療が元での副作用被害、2次的疾患
     など、身体のほうでもいろいろな病気にかかってしまっています。
     更新が滞ったのもそんな理由からでして・・・。
     そんなお話はいずれしたいと思っています。

     そんな感じで、今は気持ち的に、地上波のTVを見るのがつらく、
     仕事をしていない時間でも、地上波の番組はほとんど見ていない
     状態なのです。

     とても暗い気持ちになるから・・・・(沈)。

     そんな中、眠りにつくと、夢を見ます。
     私は昔から、眠りが浅く、眠りにつくのも時間が掛かる不眠症タイプ
     で、一度の眠りで夢も沢山見るのです。

     で、最近毎日のように、昔のアイドルやミュージシャンのかたが
     夢に出てきて、時には私もその音楽仲間の一人としての存在だった
     り、時には傍観者だったりします。

     で、特に多く私の夢に出演してくださるのが、
     河合奈保子さんなのです。

     河合奈保子さんといえば、私は子供のころ、ちびっこ歌番組に
     よく出場していたのですけれど、そこでよく歌っていた曲も、
     河合奈保子さんの曲でした。
     『スマイル・フォー・ミー』『ラブレター』『ムーンライト・キッス』等々、
     よく歌わせていただいてました。
     『セレネッラ』なんかも練習したものです(笑)。
     恥ずかしながら、『夏のヒロイン』も、サンバのリズムで
     バッチリ振りつきでやってました(笑)。
     松田聖子さんの曲も歌っていたのですが、最終的には、
     河合奈保子さんの曲のほうが、子供には歌いやすかったんですよね。
     (その当時、フォークやニューミュージック系の曲を歌っても、
     合格する子はいなかった時代です。
     王道は「演歌」。特に『舟唄』『石狩挽歌』。この2曲を歌った子は
     誰かしら合格していて、歌謡曲では百恵さんの『曼珠沙華』が
     王道でした。←百恵さんはとっくに引退してたのに(笑))

     私はかつて、音楽学校の副校長?さんから、
     「君は松田聖子に歌い方が似ているね」と何度となくいわれました。
     松任谷正隆さんからも「松田聖子の声に近いものがある」と
     いわれました(苦笑)。
     まぁ松任谷さんは良い意味で言ってくださったんですけど。
     松任谷さんにはいつもほめていただいて、心強かったものです。

     確かに、私は聖子さんの曲は大好きで、子供のころはLPの曲も
     含めて、あらゆる曲を歌って練習したものです。
     でも、前回書いたように、そのあと、岸田智史さんにハマったり、
     カーペンターズの歌い方の練習をしたりと、全然違う方向に走って
     音楽をやってきたはずなのですね。
     聖子さんがデビューする前には、キャンディーズとか、南沙織さん
     とか、八神純子さんとか、久保田早紀さんなどなどの曲も、
     さんざん歌っていました。

     なのに「松田聖子さんに似ている」といわれ続けたあの頃・・・。

     でもですね。
     全然似てないと思うんですよ。私の声も、歌い方も。
     聴いたことがある人ならわかってくださると思うんですが(苦笑)。
     あのキャンディボイスは、私の声質とはまっっっっっっっっったく
     違うと思います。
     大変光栄なんですが、でも実際は全然違うと思うのです(T_T)。

     で、私としては、もし「河合奈保子さんに似ている」といわれたら、
     ちょっと納得できるものがあるんですね(笑)。

     あくまでも、「声」とか「歌い方」の面でですよ。
     (もうルックスに関しては、雲泥どころか、天使と悪魔ほどの差・・・・。
     あんなにかわいらしいかたはいないですもんね)

     だって、子供のころ、歌番組のために、あんなに聴き込んで
     練習したんですよ?
     聖子さんの曲を歌って練習したときとは気持ち・気合が違います。
     だから、奈保子さんのほうの歌い方のクセが影響されていても
     おかしくないと思えるのです。
     大人になってから、奈保子さんのファルセットを聞きなおしてみた
     んですけど、ファルセットも似ている気がします。
     ・・・って自分で言うなよという感じなんですが(汗)。

     早い話が、ちょっと細い声質なのが似ているのかもしれません。
     って、だから、誰にもいわれたことないっつーの(爆)。

     ・・・・いいじゃない、自分ではそう思っていたいのよ!!!

     まぁでも私ももう音楽学校を卒業して何年も経ってるし、
     ライブの場数が増えてすっかりフォーク畑ですから(最近は色々な
     音楽をやってますけど)、
     今はもうすっかり声の出し方も変わってるかと思うんですけどね。

     そんなことはどーでもよくて。

     ご存知のように、奈保子さんはご結婚されてから、
     全く芸能界という場でお姿を見せてくださいません。

     ピアノ曲だけのCDがネット人気から正式発売になったり、
     他のアーティストのかたのサイトで写真に納まっていたり・・・と、
     そんな風に時折、突然にお名前を見ることはあるのですけど、
     ご結婚される前のような、頻繁にいろんなバラエティやドラマ、
     音楽番組に出る、ということは全くないのがすごく意外なんです。

     私はてっきり、ご結婚されて、お子さんが生まれても、
     数年も経てば、ニューミュージック系の女性アーティスト達のように、
     ピアノの弾き語りコンサートなどで復帰されると思って、
     待っていたのです。
     いえ、いまだに待ち続けているのですけど・・・。

     いまオーストラリアに在住されてるみたいで、ホントかどうかは
     わかりませんけど、私も行っちゃおうかしら、と思っているくらい
     なんだかとてもお会いしたいかたなのです(笑)。

     私が一番、強烈に印象に残っている奈保子さんの歌唱は、
     アイドル時代ではなく、ご結婚される前の年あたりになるん
     ですが、「夜もヒッパレ」という番組で、その週の第1位だった
     ZARDの『愛が見えない』をお歌いになったときのものです。

     土曜日の夜、この番組をリアルタイムで見た当時の私は、
     もう鳥肌が立って、たった1曲なのに、すごいものを聴かせて
     いただいた!!!!!!!!
     ・・・・と、ひとりスタンディングオベーションをしたものです。
     もう拍手拍手、ひたすら拍手。
     感動しました・・・・・・・・!!!!

     たまたまビデオも撮っておいたので、何度も見返しては、
     母に、「見てよ聴いてよ、すごいのよっっっ!!!!!」と、
     叫びまくったものです。

     たまたまその翌週に音楽学校の進級試験を控えていて・・・
     私はそれまでの試験で毎回、最終まで残るものの、
     進級ができなかったんですね。
     というのもそこの学校では、上級クラスの生徒が辞めるか、
     よっぽど上級クラスの生徒がヘタな歌唱だと認められない限り、
     下のクラスの者は上がれない仕組みだったのです。
     それで、いつも枠があいてなかったのです。
     「うまい人でも上に上がれないこのシステム。
     一体何のための進級試験なのかわからないね〜」と、
     よくみんな愚痴をこぼしていたものです。
     そして、上に上がらないまま辞めていく人ばかりでした。

     で、私も毎回最終まで残り、いつも推してくれる先生や校長の存在も
     知っていて・・・でも上に上がれないんじゃお金と時間の無駄だな〜と、
     今回限りで辞めようと思って、試験に臨むことにしました。

     今回で最後・・・という意気込みで、学校に向かう前に、家で、
     発声がてら練習曲に使わせていただいたのが、その、
     河合奈保子さんの『愛が見えない』の歌唱を収めたビデオです。

     「私もこんな風に思い切って歌えたら・・・もう最後と決めてるんだし、
     こんな風にやってみよう!」と、すごく勇気をいただいて、
     何度も何度もビデオを見返して、そして試験に臨みました。

     結果、上級クラス合格!!!!
     しかも全生徒の中で、点数は1位!!!

     もうホントに嬉しかったですね〜〜〜〜。
     音楽学校というのは、とにかくお金も掛かるし、精神的にも
     ズタボロになります。
     学校のシステムにも散々振り回されますし。
     想像以上にキツイのです。
     毎日、レッスン友達に電話しては音楽談義、学校談義です。

     こんなことなら、ちびっ子番組に出て、渡辺プロダクションに
     スカウトされたとき、断らなければ良かった・・・。
     あれだけはいまだに悔やまれます。

     バイオリンの先生にスカウトされたときも・・・・。

     チャンスというのは逃してはいけません。
     大人になってから、いざ歌の道を志そうと思っても、
     信じていた音楽仲間の裏切りにあったりと、
     他人にチャンスを邪魔されることになってばかりのいま、
     つくづくそう思います。
     (でも子供のときは親のお金でレッスンに通わなければならなかった
     ので、貧乏な我が家では、どっちみち無理でしたけど、ね・・・)

     それはさておき、やっとの合格で、私はホントに、
     河合奈保子さんに感謝したものです(涙)。
     いえもちろん、今でも感謝し続けているのです。

     あれがなければ、私は歌をやめていたでしょうし、
     何に対しても「がんばるだけ無駄」と諦めるクセがついていたかも
     しれません。

     動画サイトでもあの『愛が見えない』は聴けると思うんですけど、
     やっぱりTVで生で見たものとは印象がダンゼン違います。
     ホントに、あのブラウン管の向こうの奈保子さんの歌声は、
     ただただ鳥肌ものだった・・・・・それしか言えません。

     情熱が最高潮に湧き上がって、精魂こめた歌・・・・・
     いや〜、こんな表現もやっぱり違いますね。
     もう表現のしようがないです。

     奈保子さんはわりと後期までコンスタントにLPを出されていたん
     ですが、大人になるにつれ、ご自身で作曲したものが増え、
     セルフプロデュースも行い、どんどんアーティストになっていきました。
     確か当時は、最年少で作曲家協会会員になっていらしたと思います。

     紅白などでも、ピアノの弾き語りをしたり、歌謡曲とはいえない、
     オリジナリティのある楽曲を歌うようになってらっしゃいました。

     後期のLPでは、ボサノバとかサンバとか、南国の民族音楽に
     影響された、でも熱すぎない洗練された曲もたくさん作られていて、
     どんなアーティストになっていくんだろう・・・と、それは楽しみだった
     ものです。

     同時に「さすらい刑事旅情編」とか「ママじゃないってば!」なんて
     ドラマも出られてたんですけど、私はやっぱり、
     歌手&作曲家としての奈保子さんにすごくあこがれました。

     「ミュージックフェア」などではけっこうニューミュージック系のかたとの
     共演も多くて、ミュージカルをやり始めたときには
     ミュージカル調の歌声になったり、フォークの人とハモるときには
     相手の人に合わせた声の出し方をしていたり、
     その幅の広さには感服してました。

     しかも、見るからに性格がよさそうで、相手が失敗しても自分のほうが
     笑っちゃって、うまくごまかしてくれてたのも好印象でした。

     楽器が色々弾けるというのも、普通のアイドルとは違う音楽性が
     感じられて、とても尊敬しました。

     そうそう、ご結婚の少し前、「東京フレンドパーク」に出演なさった
     ときの話なんですけど!
     ヘッドフォンから流れる音楽と、同時に光るライトの場所を覚えて、
     次はヘッドフォンをはずして光のライト(押したり踏んだりすると
     音が出る仕組み。つまりこのライトが楽器のようなもの)だけで
     演奏をして、相手に音を伝えて曲名を当てさせる・・・というゲームが
     あったんですけど(←どんなゲームかわからない方は、ネットでちょっと
     調べてみてね(笑))、
     奈保子さんは、自分の1回戦の演奏の後、
     2回戦で今度は相方さんが演奏をして、奈保子さん自身が曲名を
     当てる番になったときに、1回戦で自分が演奏したときの
     ライトの音を、『絶対音感』ですっかり覚えてしまっていたのです!
     だから、相方さんがライトを踏み外して出せなかった音でも
     「そこのライトはミの音だったんですよね・・・」なんてアゴに手を
     やりながら何気なく当然のように言っていて、
     しかもそれは正解で、「※ここは本当にミの音です」なんて
     テロップまで流れたのです(笑)。
     そんな人が出場したことは一度もなく、すっごーーーーいっっ!!!!
     と、またまた感動(T_T)。

     ・・・・こうしてみると、ルックスよし、性格よし、声よし、才能ありで、
     素晴らしいアーティストじゃないですか?

     こんな奈保子さんを「秀樹の妹・弟オーディション」で選んでくれた、
     というか、ほかの審査員をのけても推してくれた西城秀樹さんには
     感謝感謝です(笑)。

     あの年、1980年という年に、聖子さんと互角に活躍することが
     できたのは、奈保子さん以外にいませんでした。
     でも、どちらも可愛くて清楚で歌がうまく、ライバルといっても
     なんだかほほえましいものがありました。
     お互いの本心は分かりませんが(笑)、ブラウン管で見ていた
     子供の私などは、いつも、TVに二人が出ると、パッ!と
     春の花が咲いたようで、あたたかな気持ちになったものです。
     (私的には、ふたりがすごく仲良くしている光景ってあまり見たことが
     なかったし、聖子さんは岩崎良美さんと浜田朱里さんが親友だと
     公言していたし、奈保子さんも柏原芳恵さんと友達だというのを
     アピールしていたので、実際はそんなに親しくはなかったのかな〜と
     思ってるんですけど。
     やっぱり、あの当時は一番のライバルでしたから・・・ね。
     色々な気持ちがあったと思います)

     とにもかくにも、いまも大切にとってあるレコードの数々。
     いま見ても、とにかく可愛いです。
     素顔のほうが可愛かったような気がします。
     珍しいですね(笑)。

     そして、いま聴いても、あのカナリヤボイスは、優しい気持ちに
     させてくれます。

     『大きな森の小さなお家』でデビューしたときは、
     こんなにナチュラルで可愛い人がいるなんて!と驚いたものです。
     それより前に、すでに聖子さんがデビューしていて、
     聖子さんのレモンのようなフレッシュさにもあこがれ、
     奈保子さんのデビューで、いままでのアイドルとはまったく違う、
     実力も伴っているアイドルが2人も!!と、ホントにホントに
     毎日、歌番組を見るのが楽しみで仕方ありませんでした。

     それにしても、子供の頃はさんざん練習していた奈保子さんの
     曲ですが、『大きな森の・・・』とか『ヤング・ボーイ』とか、
     いま同じキーで歌おうとすると、意外に難しいんですよね。
     聖子さんの曲でも『風は秋色』『チェリーブラッサム』『白いパラソル』
     の3曲は、いま歌うとキーが高く感じます。
     でも、奈保子さんの曲のほうがどれも、ひとつ、キーが高いように
     感じます。
     『北駅のソリチュード』でもそう感じるので(笑)、たぶん奈保子さんの
     地声のキーって、私より高いんだなぁ・・・。


     最初にも書きましたけど、私、待ってるんです。
     奈保子さんが、ほのぼのとした弾き語りコンサートなどで、
     復帰してくれるのを。

     きっといまも、ピアノをお弾きになってるだろうし、
     オーストラリアではピアノの先生なんかしてらっしゃるのかも
     しれません。
     ピアノ曲のCDを出されたときには、PCでの演奏も覚えたと
     おっしゃってましたから、これからまだまだご自身の音楽を
     追究していってくださるんじゃないか・・・そう信じているのです。

     私が女性だからかもしれませんが、できれば、大人っぽい
     ライブではなくて、ほのぼのと、女性も聴きに行きやすいような、
     そんなライブをしてくださると嬉しいな・・・・なんて思っています。

     奈保子さんならではの「海」を感じさせてくれるような曲も聴きたいし、
     母親となった女性ならではの、童謡のような温かい曲も聴きたい
     です。
     ピアノ演奏だけでもいいんです・・・・。

     子供だったあのころは、コンサートに行くなんて、考えたことも
     ありませんでした。
     それだけに、コンサートというものに足を運べるようになった今、
     聴いてみたいのです。

     あれ?
     なんか、軽いストーカーみたいなことを書いてますね〜、私ってば。
     いえいえ、純粋に、またあの素敵な笑顔が見たいだけなんです。

     他のアーティストのかたのサイトで、ちっとも清楚さが失われて
     いない、お元気な姿を見てしまったからこそ余計に、
     想いは募るばかりなんですよね。
     その想いが夢に現れてるのかしら?

     誰か伝えてくださらないかな〜〜〜。
     女性として、河合奈保子さんのいまの音楽を、生で聴きたいと
     真剣に思っている人間がいることを・・・・・。

     オーストラリアかぁ・・・・。
     やっぱり『想い出のコニーズ・アイランド』なのかしら。
     行っちゃおうかしら。。。。(そんな健康状態じゃないでしょ私ってば^^;)

     いまは、夢の中でだけお会いできる奈保子さん。
     夢の中に笑顔で登場してくれる奈保子さん。
     心も身体もズタボロな今の私に、やさしいひと時をくれている、
     大切な存在です。

     いつか、本当にお会いできる日が来るといいな・・・。

     2010年初春  Tokyoの空の下より。。。。。


     <追記(2010年5月)>

     最近になって、ザ・トップテンが再放送されていて、
     私なんかは、奈保子さん始め、’80年デビュー組のアイドルたちの
     大活躍の時期が見たいのに、
     おそらく某事務所アイドル連(笑)の映像がNGのため、
     ’81〜84年頃のものはほぼカットになってしまってるんですね(T_T)。
     でも’84年末のものからは割とスムーズに放映中。
     で、ここ毎週、奈保子さんの『ジェラス・トレイン』がランクインしていて
     ほぼ毎回のように登場して歌ってらっしゃる姿を、
     懐かしく楽しんでおります♪

     そして母がポツリ「・・・・上手いねぇ」。

     上手いわよっっ!!!何を今更っっっ!!!!!!
     非のつけどころがないってばっっっ!!!!
     わかってたことじゃないっっっ!!!!!

     あの滑らかな発声。完璧な音程。素晴らしいファルセット・スキャット。
     どうしたらあんなに上手に歌えるのでしょうか。
     どうして神様は奈保子さんに2物も3物もお与えになったのでしょうか。
     ホントに素敵です。

     私なんか、最近、とうとう、オーストラリアで奈保子さんが私などに
     笑顔で観光案内してくださる夢まで見ちゃってる始末ですよ。
     ご自宅に連れて行ってくださる夢まで見ちゃってる始末ですよ。
     とうとうここまできたか、って感じです(笑)。

     トップテン、次にランクインするのは『デビュー〜Fly me to love〜

     かな?
     ♪Fly me to love〜〜〜珊瑚礁まで〜〜波の銀河を滑り〜・・・

     ん〜〜、これからも楽しみ!!

     (ちなみに、聖子さんが結婚式を挙げられたのがこの’85年の
     6月の月曜日で、その日は雨の中での挙式だったのだけど、
     その模様がトップテンでも流れたんですよね。
     で、この日、渋谷公会堂にトップテン見に行ってました、私(爆))


     ・・・・・・・
     上記のように、楽しみ〜〜〜〜♪と思ってたのに!!!
     数か月分飛ばされた・・・・・>トップテン
     もういい。CSには期待しない・・・・・(ふて寝)。


     <更なる追記(笑)(2010年5月)>

     今日、動画サイトで選曲するうちに、ワタクシ、すごいものを
     見つけてしまいました!!
     「池田泉州銀行」ってとこのCM曲を、奈保子さんが手がけて
     いる〜〜〜〜〜!!!
     池田泉州銀行ってどこ???大阪のほう???
     15秒バージョン以外にもっと長いのないのかな?

     爽やかな曲だけど、妙に壮大さと躍動感があってビックリ。
     特に途中のピアノソロがよく聴こえる部分。
     Macで演奏したのかな。でも御自身の手でピアノ部分は
     弾いているとしたらうれしいな。
     何はともあれ、少しずつ音楽復帰???
     わぁ〜〜〜〜〜、なんかとっても嬉しいんですけど〜〜〜〜!!!


          <更なる追記(笑)(2020年5月)>

     いや〜、上の記事書いたの10年も前ですかぁ。
     ですがワタクシは今でも、河合奈保子さんの夢を頻繁に見ます。
     何でかなぁ???
     いつかまた音楽に復帰なさって、どこかでお会いできるはず!!
     ・・・と思っているからですかね。
     ちなみに、夢の中の奈保子さんは、数年前にまりやさんのブログや
     雑誌で見た時のような、ショートカットのヘアスタイルが多いです。
     今もずーっと清楚で、ピュアで、熱い情熱を秘めた、芯のある、
     素敵な年の取り方をなさっている事だろうなぁ・・・と想像してます。