2006年3月、私は北アメリカ・インディアナ州に行ってきました! そして、あの、’70年代初頭に、聴く人の心を癒してくれた姉妹デュオ・ チューインガムの松田マミさんにじきじきにお会いして、 ライブ鑑賞もさせていただいてきたのです!!! そもそもそのときは、カリフォルニア州に音楽活動&ホームスティ& 音楽ボランティアなどの目的でアメリカに滞在することになったのですが、 もう2度とアメリカにこられないかもしれない、 少なくともイギリスよりはその可能性が高そうだ(イギリス好きだから。笑)、 と思った私は、このチャンスを活かさない手はないと考えました(←大げさ)。 私はずいぶん長いあいだ、「風と落葉と旅びと」「かたくりの花」など、 チューインガムの曲をカバーさせていただいています(図々しくも)。 おふたりのご尊父である松田篝さんの作曲された、とんぼちゃんという フォークデュオの「誰も知らない子守歌」という曲もカバーしてきました。 「ともだちの歌」も子供向けライブなどで歌わせていただいています。 おふたりの歌との最初の出会いはもう20年以上前なんですけど、 ラジオで録音したフォーク特集の「風と落葉と旅びと」を初めて聴いて、 なんだかすごくその曲のよさとハーモニーの心地よさ&声質に惹かれて、 数年後、たまたま御茶ノ水のレコード店で’72年にリリースされたアルバムの 復刻CDを見つけて、すぐさま買い込んだのでした。 「結婚しようよ」とか「ひとりじゃないの」なんて、’70年代好きには 嬉しいカバー曲も入っておりました♪ が、そのときはそれよりも、ジャケット写真を見て、ただただビックリ。 まだ2人とも、少女じゃないの! 私はそれまであのラジオからの歌声だけを聴いていて、てっきり 大人のデュオだと思っていたのです。 どうやらお姉さんのりかさんが中学1年生、妹のマミさんが小学5年生くらい だったらしい・・・・と、そのCDを買ったときに初めて知ったのでした。 このCDの中では特に「旅に出たい」「小鳥よ飛びなさい」あたりが 私の心に響きました。 そして「北に消えゆく二人」という、これはなつかしの仲雅美さんの曲の カバーだそうですが、この曲の歌唱にはひたすら感動して、 学校に通う道でもひたすらウォークマン(笑)で聴いて口ずさんでました。 猫(というバンド)の「各駅停車」という曲と共に、私の青春の通学路を 涙で彩った曲です(笑)。 世の中「イカ天バンド」の時代に、私はそんな音楽で青春していたのさ。 そんな、チューインガムの松田マミさんがアメリカに現在住んでいらっしゃる というのは、ファンサイトのご様子で知っていました。 (余談ですけど、チューインガムのサイトができるとき、たまたま私がいつも 出入りしていたナツカシ系のサイトに、管理人さんが告知にいらしたのです。 で、早速見に行ったときは、まだほとんどのページが工事中でした(笑)。 それから半年〜1年位して、また見に行きましたら、立派なサイトに なられていて、本当に感心いたしました) そちらのサイトをきっかけに、私のライブに聴きにいらしてくださる方も出て、 ホント、チューインガムのお二人には今も、感謝感激雨アラレな気持ちで いっぱいの、大変尊敬するアーティストなのです。 マミさんには、音楽的にも聞きたいことがいっぱいある・・・ 少しでも音楽的な刺激を受けて、何か自分の音楽のヒントが得られたら うれしいな・・・・・ そんな気持ちも大いにありました。 実はその頃、音楽のことでいろいろ悩み始めた時期でもあったんですよね。 そもそも、アメリカ行きを決めたこと自体、気分転換、人生転換、 何か刺激がほしい・・・ そんな気持ちが強かったように思います。 さて、そんなわけでアメリカ行きをきっかけに、マミさんに会いに行くことを 決意した私。 当初は、数年前にご本人から聞いた「バルパライソ」という地名だけを 覚えていました。 「バルパライソ・・・・・というと、チリか!」 南米・チリにマミさんはいらっしゃる・・・・・ 早速、チリのバルパライソのホテルを探し始めました。 「うーん、、、その前に、南米ってことはスペイン語?ブラジル語??? ・・・・・・さっぱりワカランチンどもトッチメチン♪」 英語以外(いや、英語も(汗))の語学力に不安を残す私は、 ここで(気分的に)つまずく。 思わず一休さんのテーマを歌いだすほか、なすすべなし。 しかし!!!! たまには神様も味方してくれるものです。 なんと、よくよく伺ったら、マミさんが住んでらっしゃるバルパライソは、 南米・チリではなく、北米のインディアナ州の中の一都市だったわけです。 わはは。 単なる勘違いだったよ。 ありがたや、英語圏だとわかった私は、喜んでホテル調べを再開しました。 お優しいマミさんは、「ホテルは私が見つけてあげるわよ〜」と 英語で(笑)メールをくださいましたが、 お忙しいマミさんにそんなことをさせてはいけませんから、 自分で調べることにいたしました。 (しかし!これがのちのち大変なのでした) 話が前後しますが、マミさんにお会いしよう!と決めて、ご連絡するも、 お返事がくるまでひと月くらいかかってしまいました(笑)。 その間は「チリのバルパライソ」(笑)のホテル探しやら交通手段調べやら、 リサーチに費やしていたわけですが、 ようやく感激のお返事メールが届いてみたら、 想定外の(日本語で届くと思ってた(笑)) 「英語」でのお返事だったわけです。 というのも、マミさんがPCの日本語ライティングソフトを無くしてしまった からだそうなのですが、 私のつたない英語力では、なかなか訳するのに難しいフレーズも あったりして、 そんなときには自分に都合よく、無理やりな和訳をして 理解してしまっていました(笑)。 (でも特には困りませんでした、たぶん(爆)) で、どんなやり取りがなされたかといいますと・・・ ※以下、英語でのやり取りをかいつまんで訳したもの。 しかも数日に渡るやり取りです(笑)。 マ「いつでも来ていいわよ〜」 や「ギター持っていっちゃいます!でへへ(あわよくば、とっつかまえて 一緒に歌うのだ!これは内緒♪)」 マ「3月にオープンステージがあるから、見にいらっしゃいよ〜」 や「オープンステージ??(ってことは外でのライブ?) シカゴのほうだから、夜だと寒そうですね〜〜〜。 やっぱりコートは必要ですかね?」 マ「オープンステージっつっても、屋内だわよ〜。(ぷぷ。) 音楽好きなパフォーマーなら誰でも出演していいのよ〜。 アタシはその前にライブステージをやるのよ〜〜」 や「なるほろ。マミさんの本格的なライブが見られるのですか〜。 それは行かねばっ」 マ「そんな感じだから、出てみる?オープンステージ」 や「えええええっっっっっ?!?!??!?!」 こうして、思わぬ展開に話は進んでいくのでした。 つづく。
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